毎週、たくさんのミュージシャンにより新しい作品がリリース(市場に発売)される。しかし、ヒットするものはほんのわずかだ。ヒットを生むには、トレンドの正確な分析がひとつの大きな要素だが、結局のところ、その分析は「主観的な見方」あるいは「勘」で行われることがほとんどだ。これまでのポップ音楽産業では、ヒット曲を生み出すプロジェクトに、サイエンスは存在しなかったといっていい。
今回、株式会社NTTデータ、株式会社NTTデータ経営研究所と株式会社阪神コンテンツリンクは、人間の脳活動を推定するNTTデータの技術「NeuroAI」(ニューロ・エーアイ)と、阪神コンテンツリンクのBillboard JAPANの総合ソングチャートHOT 100のデータを組み合わせた共同研究を実施し、「楽曲の脳情報化による新たな特徴の獲得」「ヒットソングの特徴の可視化」「未来の音楽トレンド予測」などの成果を得たと発表した。これにより、どのような音楽的な特徴を備えた楽曲がトレンドとなっているのか、そして今後どうなるのかの定量的な評価が可能になるという。阪神コンテンツリンク 植田匠人氏、NTTデータ経営研究所 茨木拓也氏、NTTデータ 松元理沙氏の3名にお話を伺った。
Billboard JAPANの総合ソングチャートHOT 100を運営する植田氏には、「未来のトレンドは?未来のヒットソングは?」という質問がよく寄せられる。そこでBillboard JAPANのデータを使って AI にヒットを予測させたらと考え、NTT データに話を持ち込んだのがきっかけだ。
NTTデータのNeuroAIは、コンテンツを見聞きした際の人間の脳の反応を予測することができる。見聞きした時に脳はどう反応し、その結果人はどういう印象を持つのかを推定する技術だ。2018年に同社はこれを利用し、広告評価に脳科学を活用する研究をリクルートと行い成果を公表している。今回、植田氏の申し出を受け、その技術を音楽に適用する共同研究が始まった。
音楽を聴いて脳が気持ちよさを感じる仕組みがこの10年で分かってきたと茨木氏は話す。さらに最近のトレンドとして、どんな音楽の特徴が脳に気持ちよさを与えるのかも分かってきたという。「例えば音楽にコード進行ってあるじゃないですか。コード進行の驚きと不確実性が、脳が感じる音楽の気持ちよさと関係することも分かってきました」
NeuroAIを音楽に適用することで、音楽の「ジャンル」といった情報や、楽曲の「音声信号」などとは別の新たな指標として、脳活動の情報から得た「音楽特徴」を定量化、可視化することができた。茨木氏によると、実際に市場で流行っている楽曲がどんな脳活動を起こさせ、どうヒットに結びついているかという実用的な研究は世界でも手つかずの領域だった。
この研究の成果を応用し、具体的にできることのひとつが「プレイリスト(好きな音楽の順番をリスト化するもの)の作成」だ。今までは、DJなど、音楽に対して造詣が深い人が主観的に作成したものだったが、NeuroAIによって脳活動レベルに近い曲を選んだプレイリストを作ることができる。そうすると、まったく知らなかったジャンルの作品がプレイリストに並ぶこともあるが、それぞれは脳活動に与える影響としてはよく似たものであり、どれも気持ちよく聞くことができる。「(これまで無縁だった音楽ジャンルの作品との)新しい出会いを提供できるかもしれません」(松元氏)
さらに「今後の音楽 トレンドの変化を予測すること」もできると茨木氏は続けた。脳情報化した音楽と、コード進行や歌詞、Billboard JAPANのヒットチャートを使ってモデル式を作っていく。つまり、売れた音楽はどういう特徴で、どういう影響を脳活動に与えたかを可視化する。その可視化したモデルを使って、「音楽の特徴だけで売れた作品」をあぶり出すことができる。ヒット曲というのは、音楽の特徴だけで生まれるとは限らない。今までビックヒットをたくさん出している有名アーティストだから今回も売れた、という要素もある。そこでこの次の左右のランキングを見て欲しい。
上記のランキングは実際のBillboard JAPANの2020年上半期チャート結果。右のランキングは、NeuroAIで可視化した音楽特徴だけを拾い上げ、ヒットする要素を算出してランク付けしたものだ。
「やはり社会的知名度があるアーティストが Billboard JAPANの上半期ランキング(左リスト)に入って来ています。しかし一方で、過去のチャートデータを加味することで社会的知名度をある程度抜いたNeuroAIによってランキングされた右リストで、1位のwacciの曲は確かに有名ですけど、お茶の間レベルまで届いたヒットソングとは言えません。こういう現象が出てくるんですよね」(植田氏)
「右側のランキングは、左側の実際のトップ20 に入っている曲の“音楽特徴”に、似た“音楽特徴”を持ち合わせた曲のトップ20という風に見てもらえればいいかもしれません」(松元氏)
この仕組みは、どの楽曲を宣伝すべきかの意思決定に使える物差しになり得るかもしれない。
さらに今回の成果は、どんな音楽特徴を持っている作品がこの先売れるのかの予測に使うこともできる。4ヶ月程度先の予測まで可能だが、その精度は予測が全部正解の場合を「1」とすると、いまのところは「0.7程度」の精度だということだ。
「音楽の天気予報みたいなものを世界で始めて作ってみたわけです」(茨木氏)
「天気予報だって100%当たるわけじゃないけど、大体のことがつかめれば方針が作れますよね」(植田氏)
ただし、全く未知の新人が4ヶ月後にヒットするかどうかについては、現在では予測できないという 。あくまでも既存のチャートデータを分析するものなので、“これまでのトレンドだとこうなります”という予報になる。しかしデータをどんどん充実させることによって精度が上がって行くだろうと期待は持てる。
ヒット曲の創出にも、サイエンスが入ってくる時代が来た。