美味しいコーヒーを淹れるためには品質の高いコーヒー生豆が欠かせない。近赤外線を用いて生豆の品質を測定し、アプリを通じて生産者が確認したり、買い手とつながったりできる仕組みを、コロンビアとイスラエルを拠点にするスタートアップ「デメトリア」社が開発している。
コーヒーの味は、カップに注がれるまで知ることができない。ましてや焙煎前の生豆から、その詳細な味を評価することなど思いもよらないことだ。しかし同社は生豆の成分を測定し、AIを活用して“風味の基準”と紐づけることで、独自のコーヒー豆の品質評価システムを確立しつつある。これによって目指すのは、コーヒー豆の生産者の大多数を占める小規模農家に適正な利益がもたらされる「コーヒー革命」だ。
コーヒーは近年のブームに伴い、風味や香りなど多種多様な味わいを楽しめるようになった。世界で1日20億杯のコーヒーが消費されているとのデータもある。しかし、「生産者が手にする利益は、コーヒーが生み出す経済のうちの2.5%に過ぎない」と、デメトリアのフェリペ・アエルべ(Felipe Ayerbe)CEOは話す。
コーヒーは、生豆の収穫、加工、出荷さらに焙煎を経て小売と消費者のカップに届くまでに、かなりの数の段階がある。アエルべCEOらは、この流通過程で生産者に適切な利益がもたらされないことの理由の一つは、生産者側がコーヒー豆の品質を把握していないことだと考え、2018年に同社を設立した。
コーヒーの味わいは、焙煎の技術もさることながら生豆の品質に大きく左右される。料理人が、最高の料理を作るために素材にこだわるのと何ら変わらない。ところが、コーヒーの場合は、生産者であるコーヒー農家が生豆の品質を客観的に測る仕組みが存在しない。味わいを測る作業は、焙煎後の「カッピング」と呼ばれるテイスティングによって行われる。つまり、コーヒー豆の流通において川下に近づいた時にやっと、価格を左右するポイントである質が数値化される構造にある。
コーヒーの生産者の多くは小規模農家だ。「彼らにとっては、コーヒーはいまだに単なるコモディティ(※編注 ここではどれも同じ“コーヒー豆”にすぎないといったほどの意味)のままだ」とアエルベ氏は指摘する。「以前なら『コーヒー飲みますか?』と言ったものだが、今は『どんなコーヒーを飲みたいですか?』と尋ねるようになっている。しかし、コーヒーの品質は例えば、カッピングコンテストで優秀な成績を収めた豆だとしても、(その豆についてコーヒー農家が)得られる情報は限られている。良い豆はいまだに『自然がもたらした偶然』でしかなく、再現が難しいことが多いのです」
国際的なコンサルティングファームなどでの勤務経験が豊富なアエルべ氏は、農業開発分野での経験も豊富だ。2017年にイスラエルを訪問した際に、技術発展により近赤外線デバイスが小型化されていたことを知り、これをコーヒー産業に適用することを着想した。
しかし、コーヒー豆の味わいは、繊細な人間の五感を要するものだ。これがどのように、数値に置き換えられるのだろうか?
デメトリアでは、近赤外線を活用する。対象物に近赤外線を照射することで、非破壊のまま化学構造を測定することができる。果物の糖度測定など食品の成分分析や、医薬品の世界でも活用されている。
同社技術でコーヒー豆を測定する際には、酸味や甘さやのもととなる分子を測定する。ワインと同様、果物や植物の香りなどさまざまに表現されるコーヒー豆の味わいや風味の背景には、豆に含まれる分子や遺伝子情報の組み合わせがある。同社ではスマートフォンよりもひと回り小さいサイズの測定器を用いることで、豆の風味のもととなる分子を測定していく。
この時点で得られた情報はデータに過ぎないが、これをAIが「翻訳」することで、フレーバーホイールと呼ばれるコーヒーの風味や味わいの一覧表に基づいた表現で示される。同社が紐づけるフレーバーホイールは、非営利団体のWorld Coffee Research基準によるものだ。
基準の裏付けとなっているデータは、世界的な取引団体のSpecialty Coffee Associationが官能分析の専門家らによる科学的手法をもとに、風味やアロマを数値化したものだ。
先述のように、農作物の何らかの特性を近赤外線で測ること自体は新しいことではない。ただ、同社がコーヒー豆の風味を測定する手法を確立する上での最大の難関は、コーヒーの味わいを決める分子などの客観的情報と、コーヒー業界で言うところの「バランス」や「後味」など、フレーバーホイールなどで表現される、いわば主観的な特性を紐づける作業だった。
「豆の真の特性」(アエルベ氏)を決定づけるには、生豆ひとつごとの特性ではなく全体を把握する必要がある。さらに、同じ農家で同時期に収穫された豆であってもすべてが同じものとは言い切れない。
そのため十分なデータを得るために、たとえば300〜500グラムで240回ほどのスキャンが必要だったという。さらに、何万回、何十万回と測定して得られた情報のわずかな違いを検討するためのモデルを作成しなければならなかったが、この作業がデメトリア社独自の「デジタル指紋」を作成することにつながった。ここにはコーヒー豆に含まれる分子や遺伝子情報が含まれるため、トレーサビリティも確保できる。
開発の過程で、別の付加価値も発見した。カッパーと呼ばれるテイスティングを行う人の感覚には当然ながら個人差があるが、同社技術によってカッパーによる評価を標準化できるようになったことだ。カッパーの中でも特に優れた人たちによる評価を集積し、そこから主観性を排除しながらコード化することを実現したという。
同社のビジネスモデルは、この仕組みをコーヒー流通業界のプラットフォームとしてSaaSで提供する。これにより、コーヒー豆の質やトレーサビリティに関する情報はクラウドに蓄積される。これを使って、特定の質や風味のコーヒー豆を探している商社などの買い手と生産者が効率的につながることが可能になる。生産者は適切な買い手に販売することができ、適正な利益を得ることにつながる。
アエルべ氏は、自社の取り組みを「コーヒー豆のワイニフィケーション」と表現する。ワインとなるぶどうを育てる生産者は、自分たちの畑で穫れるぶどうの品質や特性を知り尽くしており、その価値に見合った価格で取引をしている。一方、コーヒー豆はワイン同様に世界中で好まれ、取り引きされながらも、生産者がじゅうぶんな情報を持たないために不利な立場におかれている。
アエルべ氏の言葉を借りて大胆に意訳するならば、コーヒー豆の生産やバリューチェーンを「ワイン産業のように民主化する」ということだろうか。デメトリアの目標は、デジタル技術により取引の透明性を確保することであり、その目標を実現するための技術が、「リープフロッグとなる」とアエルベ氏は強調する。
同社の本拠地のひとつであるコロンビア最大、55万の生産者が所属する生産者組合が、パートナー団体のひとつに加わっている。組合は、コーヒー豆の買取価格の底上げを長らく切望していたが、豆の品質を客観的に測る体制が不十分だった。
アエルべ氏によると、組合にはこれまでもコーヒー豆の品質を測る大規模な装置はあった。しかし、この装置を使うには技師が必要で、仮に使えたとしても、すべてを測定完了するのに3年はかかっていただろうと組合から言われたという。同社製の測定器とアプリを使えば、生産者みずからが、いつでも測定できる。
生産者が小さなデバイスを使って自家で生産する豆の品質を知り、また適切な買い手とつながることができるのだとすれば、「コーヒー革命」というアエルべ氏の表現は決して大げさではないだろう。
「『この技術をワインで試してみれば』と勧める人もいたが、ワイン生産に携わる人たちの多くは既にじゅうぶん豊かだ。コーヒー農家のような小規模で利益が少ししかもたらされない人たちにとってこそ、この技術の価値がある」
社名のデメトリア(Demetria)は、ギリシャ神話における女神「デメテル」(Demeter)と、ラテン語で「測る」を意味する「meter」を組み合わせた造語だ。大地の恵みの女神が、より公正な測り方をコーヒーにもたらす日も近いかもしれない。