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シンガポール国家目標「30 x 30」のためのエコシステム そこに集まるフード&アグリテック

農作業現場に立つListenFieldのチンナショーティラナン氏(左から2人目。同社提供)

農作業現場に立つListenFieldのチンナショーティラナン氏(左から2人目。同社提供)

 国内の食料自給率を、現在の10%未満から「2030年」まで「30%」に引き上げる「30 x 30」を国家目標に掲げたシンガポール。フード&アグリテックのスタートアップを資金面でも強力に支援し、食料を確保するという国家的目標と同時に、フードテックのアジアのハブとなるという「二兎を追う」姿勢が伺える。2019年には、産業育成機関エンタープライズ・シンガポール(ESG)と米国のフードテック分野を得意とするベンチャーキャピタル(VC) AgFunderがスタートアップ育成のため、東南アジア地域でフード&アグリテックを対象にした初の本格的なアクセラレーター「GROW」のプログラムを始めた。ここではそこに集う、スタートアップの顔ぶれに迫る。 

 シンガポールにおけるフード&アグリテックにおける「エコシステム」は、スタートアップ業界で言うところの「エコシステム」より広い概念だ。資金や研究開発などスタートアップの成長に必要な環境などに加えて、生産現場から消費者の食卓までを広く網羅する。国家の戦略としての「食の安全保障」を担保する仕組みであり、新しい食材の開発や農業の自動化といった直接的なテクノロジーだけではなく、環境負荷が少ない生産や流通などを含めたものだ。その「エコシステム」の構築のため、広く多岐にわたる分野のスタートアップを、野心的な国家目標のもとで強力に支援している。

 同国のチャン・チュンシン貿易産業大臣(Chan Chun Sing)は、今年1月に同国内で行われたスピーチで「持続可能で無理なく供給ができ、かつ、アジアとその先の市場にもアクセスできるような新しい食品産業、シンガポールがこの地域における先鞭となるような、(国内で)完結するエコシステムの構築を進めている」と述べた。

 「30 x 30」の掛け声のもと、スタートアップ育成の資金面において、ベンチャーキャピタルやアクセラレーター計7団体が政府の投資部門の共同出資パートナーとして指名されている。先に紹介したGROWの母体となっているAgFunderもこのうちのひとつだ。

 GROWは昨年秋、2度目のアクセラレータープログラムとしてFood Bowl Singaporeを開催した。新型コロナの流行でオンラインでの開催となったが、アジア太平洋地域から12のフード&アグリテックのスタートアップが参加し、成果を披露した。

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 このうち、名古屋市を拠点とするスタートアップ「ListenField」は、プレシジョン・ファーミング(精密農業)に必要なデータ提供を行う。衛星やドローンを使って集めたデータを、東南アジア地域の農家にアプリを通じて提供し、利用者側の農家からもフィードバックを得ることで、精度を上げている。CEOのラサリン・チンナショーティラナン(Rassarin Chinnachodteeranun)氏はタイ出身で、日本の中部大学で博士号を取得した経歴を持つ。

 同社が顧客とする東南アジア地域の伝統的な農業は、勘や経験のみを頼りにしたごく小規模の農家によって支えられてきた。だが、農家が役に立つデータを入手し、適切な使い方を知ることで、「経営として成り立つ農業へと変わりつつあり、農家もそのことを理解し始めている」と話す。

 同社が得意とする技術は農業の現場で役立てられる性質のものに対し、シンガポールでは農地が限定的だ。しかし、同社の顧客農家の9割がシンガポールへ米や柑橘類などの農作物を輸出しており、シンガポールの食の安全保障を確保することにつながるとしてプログラムに採用された。

 米国西海岸で創業し、同国と中国を拠点とするスタートアップ「Mi Terro」は、廃棄された食品を原料に繊維や食品包装用のラップを作り出している。創業者のロバート・ルオ(Robert Luo)CEOは、青海省で酪農を営むおじの元を訪ねた際に、廃棄される牛乳の多さに驚いたことがきっかけだった。

Mi Terroが開発する食品用ラップ。同社ウェブサイトより
Mi Terroが開発する食品用ラップ。同社ウェブサイトより

 牛乳をアップサイクルできないか――。化学を専門とする友人と徹底的に探り、廃棄された牛乳のタンパク質から繊維を抽出する方法を編み出し、布地を作る現事業にたどりついた。同社独自の技術によって、腐った牛乳を含む廃棄牛乳からタンパク質を抽出し、次いでタンパク質に付着している菌を取り除くことで、布地に使える状態にする。すでに、日本企業などとも取引実績があるほか、この繊維から作ったTシャツは広く販売されている。

 同社では、農産物の廃棄物を原料にした食品包装ラップの開発も進めている。海など自然環境下で分解される素材で、ルオCEOによると現時点では廃棄牛乳をもとにした繊維事業の割合が同社事業の多くを占めているが、「将来的には食品用ラップにより比重を置く予定だ」としている。

「隠れた才能やテクノロジーが、この地域にまだ存在する」

 GROWのアクセラレータープログラムの特色について、チンナショーティラナン氏もルオ氏も、関連する分野の大企業や政府機関とのつながりを挙げる。「Food Bowl」は食品大手のドールの関連企業(Dole Packaged Foods)がパートナーとなっていることもあり、同社との接点をGROWを通じて得ることができたのは大きかったとしている。また、同プログラムはフード&アグリビジネスに特化しているため、この分野に詳しい専門家のアドバイスを受けられる点においても、スタートアップにとっては大きい。

 GROWでInnovation & Strategyの責任者ジョシュア・スー氏(Joshua Soo)によると、昨年に3か月にわかって展開されたアクセラレータープログラムには、アジア太平洋地域から100社近いスタートアップが応募した。その中から選ばれた12社がプログラムによる支援を受け、その仕上げとして先述のFood Bowl Singaporeに参加した。100社近い応募は、GROWの予想を2倍ほど上回っていたというが、スー氏は「この地域にはまだ隠れた才能やテクノロジーがあるということだと思う」と手応えを感じている様子。今後5年間で、100社のスタートアップ育成を目指しているという。

 同プログラムは、フード&アグリテックを広く捉えている。ここに含まれるのは、個人の食生活に関するもの、新規の食材、環境に配慮した食品生産のほか、持続可能な食品パッケージや食品廃棄物の再活用、食品流通に関わるサプライチェーン・ソリューションと多岐にわたる。スー氏は「私見も含まれているが」と前置きした上で、「食の安全保障とは、国内での生産を増やし、他国からの供給体制についての柔軟性を高めることの両方を含んでいる」と話す。こうした目標のもと、今年4月に開始するプログラムも応募受付を始めている(2月末日締め切り)。スー氏は、「日本のスタートアップにもぜひ、たくさん応募してほしい」と話している。

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株式会社ポッセ・ニッポン代表取締役。元読売新聞社会部記者。国連機関やNGOなどを経て現職。文章×サイエンスの組み合わせが、大きな関心ごとの一つ。note「理系と文系がつながるサイエンス」https://note.com/posse_nippon