中国の政府系ファンドは、EV(電気自動車)や半導体の振興を支えた成功例として高く評価されてきた。しかし、今、風向きが変わりつつある。この1月に公布された新たな政策文書では「重複投資と無秩序な競争の抑止」「生産能力過剰と低レベルの重複建設の抑止」などの文言が盛り込まれ、ブレーキをかける方針を明確にしている。
政府系ファンドは中国語では「政府引導基金」と表記される。有名なのは「国家集成電路産業投資基金」、通称「大基金」だ。2014年の第1期ファンドは1400億元、2019年の第2期ファンドは2000億元、2024年の第3期は3400億元、計6800億元(約14兆6000億円)の巨大ファンドを構築し、多くの半導体企業に出資した。それにより米国の規制に負けず、半導体産業とその技術を飛躍的に発展させることに成功した。
この大基金は中央政府が組成した投資ファンドだが、その下の自治体、省、市、区・県レベルでも政府系ファンドが組成されている。金額ベースで見ると、むしろ地方政府のほうが主体となる。政府系ファンド全体では、2024年6月時点で2000以上のファンドがあり、その保有資金は4兆5000億元(約100兆円)に達している。
中国の産業政策と言うと補助金のイメージが強いが、近年では政府系ファンドが新たなトレンドになっている。補助金よりも新興企業育成には効果的との見方があることが一因だが、それに加えて地方政府が自前の資金よりも多くの金を動かせることも人気の秘密だ。政府系ファンドの出資者は地方政府だけではなく、銀行や国有企業も協調して出資するのが一般的だ。出資の方法だが、政府系ファンドが直接企業に出資することもあれば(ただし、実際の運用は委託を受けた民間ベンチャーキャピタルが担当する)、民間ベンチャーファンドの出資者(LP)として参加することもある。
政府系ファンドの資金は、地元の戦略的新興産業の育成に用いられるのが一般的だ。中国政府は、第14期5カ年計画で戦略的新興産業として「次世代情報技術、バイオテクノロジー、新エネルギー、新材料、ハイエンド設備、新エネルギー自動車、グリーン・環境保護ならびに航空宇宙、海洋設備」を挙げている。
有望なベンチャーに余計な注文なしに出資し、ハイテク企業に育て上げる……。これが理想だが、実際には「出資するからうちの街に来い」といった条件付きの出資が横行した。これは「合肥モデル」と言われている。新興EV企業のNIO(ニオ)が資金難で苦しんでいた時に、安徽省合肥市の政府系ファンドが出資し、本社を合肥市に移転させた。その後、中国EVの大躍進が始まり、NIOの株価もみるみる上昇することになる。「合肥モデルに学べ」が合い言葉となって、地方政府同士で有力企業を奪い合う展開が続いている。
「おらが街のハイテク企業」を確保するため、地方政府同士が出資競争を繰り広げる。この政府系ファンドの状況はどのようにとらえればいいのだろうか。
2024年10月にアジア経済研究所の丁可主任研究員は「米中対立と中国における産業政策の変容」というテーマで、東京大学未来ビジョン研究センター・安全保障研究ユニットのウェビナーに登壇した。地域間の激しい競争が企業間の競争の激化につながり、その戦いの中で勝ち残った企業は生産コストを大幅に削減するとともに、イノベーションで生産性を向上させたと指摘している。これはポジティブな一面だが、一方で複数の地方が同様の産業振興を行うことにより生産能力過剰が生まれたり、地方債務の増加につながったりするデメリットがあることも指摘している。
中国といえば、「多産多死」のイノベーションシステムで知られる。自動車を例に挙げると、EV元年と呼ばれた2015年には500社以上ものベンチャーが誕生した。その多くは最初の量産車を立ち上げる前に潰れたが、生き残った企業が今、世界をリードする実力を持っていることは報じられているとおり。そして、生存競争はまだ終わっていない。昨年12月に大手IT企業バイドゥと大手民間自動車メーカー・吉利汽車の合資企業である極越汽車が破綻したが、今後もこうしたニュースが続くはずだ。
もう一つ事例を挙げよう。「大基金」による半導体支援策を受けて、中国で乱立したのがIC(集積回路)設計会社だ。台湾のジャーナリスト、林宏文『TSMC 世界を動かすヒミツ』によると、中国では2000~3000社もの膨大な企業が生まれた。ただし、量産工程にまでたどりついたのはそのうちわずか1%だけだという。台湾のIC設ベンチャーの50%は量産まで生き残るというから、中国の場合は質の面で問題があることも事実である。ただ、潰れた会社でも人材を育てる機能はあり、転職して大きな成果を残すこともあるだろう。屍を苗床に大樹が育つとの見立てだ。
功罪相半ばする政府系ファンドだが、昨年後半ぐらいから問題点を指摘する声が高まっている印象だ。
中国経済メディア『財新』は2024年12月23日に「安全も、利益も、地元経済振興も政府系ファンドをいかに市場化するか(※タイトルは筆者訳)」と題した記事を掲載している。記事によると、どの地方も似たようなジャンルに重複出資する非合理性に加え、政府系ファンドには官僚主義的な問題があるという。
投資ファンドである一方で、国有資産を扱っているために損失を出すことは許されない。そのため一件一件の投資が失敗しないよう、厳しい監査を行う。ベンチャー投資、特にアーリーステージへの投資では失敗がつきものだ。ポートフォリオ全体で利益が出ていればよしとするのが本来のベンチャー投資の発想だが、そうはいかないのだとか。
また、投資時点で決めた計画を遵守することが必要で、出資額のうち5割を研究開発、3割をマーケティング、2割を人件費と決めたらこれを変えることもできない。売上や資金利用が事前の計画と合わない場合には、早期の資金返還を求めるケースもある。
さらに地方政府のファンドは、出資条件として本社移転を要求するケースがほとんど。本社は一カ所である以上、複数の地方政府系ファンドから資金を調達することは難しい。
この状況に、ついに国が動いた。冒頭で述べたように、今年1月に公布された「政府投資基金の高品質発展の促進に関する指導意見」では「重複投資と無秩序な競争の抑止」が盛り込まれた。また、市や県・区などの下級自治体の政府系ファンド設立には上級政府の承認が必要となった。「川向こうのあの街と同じハイテク企業が欲しい」といった、低レベルの重複投資を避けるのが狙いだ。どこもかしこも同じようなハイテク産業を狙うのではなく、その地方の特長にあった産業を伸ばすべきとも指示している。ほかにも、ファンドの存続期間や評価サイクルを伸ばし、目先の利益にとらわれない「耐心資本」(我慢強い投資マネー)を目指すよう要請している。現行の政府系ファンドの問題点にフォーカスした対策が盛り込まれている印象だ。だが、これで問題が解決されるかは不透明だ。前述の『財新』記事によると、2024年第3四半期時点で、新たに組成されたベンチャーファンドに占める政府及び国有企業の比率は80%を超えている。もはや民間出資はごくごく一部で、政府がベンチャー産業を支える構図だ。このうち相当部分が下級地方政府の出資である。ここが規制されたとなれば、中国ベンチャーマネー全体が大きく減少することが予想される。
政府系ファンドが拡大しても、民間マネーの撤退を補いきれず、中国ベンチャーマネーは大きく縮小してきた。これに拍車がかかるとなると、今後のベンチャー育成、イノベーションがどうなっていくのか、不安が残る。