“未来の”、“夢の”コンピューターとして量子コンピューターが盛んにニュースに登場する。大きく高価なスパコンをも上回る能力と聞けば、より大きく、高価なものをイメージするが、中国深センのSpinQ社は、デスクトップで量子計算が実行できる端末を7000ドルで販売している。デスクトップサイズの量子コンピューターの量産販売はこの「Gemini-Mini」が世界初だ。
筆者は、半導体が専門の金沢大学秋田純一教授と、HCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)が専門の福本博士と共に同社を訪問し、量子計算を体験してきた。
同社の開発したGemini-Miniは大きめのインクジェットプリンタぐらいのサイズで、本体の画面で量子計算の操作や結果表示ができるオールインワンの装置だ。常温で動作するNMR(核磁気共鳴)方式で量子計算を行うためこのサイズで実現でき、価格も7000ドル程度とこれまでの量子コンピューターに比べると圧倒的に低価格になった。Gemini-miniの天板は開けられるようになっており、量子計算のメカ部分をみることもできる。
性能は2量子ビット、つまり4択の計算が行える。量子計算は複数の結果が同時に存在する、つまり計算中は「4通りABCDどれでもありえる」状態が存在し、結果を出すときに1つに決定するので、量子状態が保たれている間に何度か計算を実行して最も確率の高い答えに絞る。Gemini-miniは4通りの答えしか選ぶことができないので、普通のコンピューターで計算した方が早く、なんなら人間の暗算のほうが早いかもしれないが、量子計算を手軽に体感できることは意味がある。
秋田教授は大学時代に量子力学も学んでいたが、実際に量子計算を行うのは初めてだ。
――実物を目の前にして、ドラッグしてプログラムを組み、その場で量子演算が実行されて、確率的な結果が表示される、という現象を目の前で見てしまうと、量子コンピュータをより深く理解できた、ように思う。価格的に個人で気軽に買えるほどではないかもだけど(実用性はゼロだし)、それでも、量子現象、量子コンピュータを学んでいく大学や学校では、教材としては絶大な効果があるんじゃないかと思う。まさに「百聞は一見にしかず」――(本人ブログから引用 原文ママ)」と自身のブログに記している。
ここで、量子コンピューターについて大まかにおさらいしておきたい。我々が今使っているコンピューターは「0」と「1」の2つの値を用いる計算を大規模に組み合わせ、高速に行うことで、計算可能などんな問題も解くことができる。このDG Lab Hausを表示しているサーバも、見ているあなたのPCやスマートフォンでも、0と1からなる膨大な計算が実行されて、データを受け取って絵や文字にしている。0と1は電圧の高い状態と低い状態で表し、それを電子回路で演算を行うため、電子計算機と呼ばれる。
一方で、0と1の組み合わせで問題を解く現在のコンピューターは、“組み合わせ爆発(解の数が急激に大きくなり最適解が見つけづらくなるような現象)”が起こるようなタイプの問題を解くのが苦手で、現実的な時間で解けないことがある。
電子や陽子などがもつ「スピン」と呼ばれる物理量は、量子状態をとることが知られていて、そのスピンの向きは上向きでも下向きでも、「つまり0でも1でもありえる」状態が起きる。この量子状態を、計算に相当する規則で、物理的に操って変化させれば、途中の0と1の状態が同時にありえるまま計算が進むコンピューターを作ることができ、現在のコンピューターが苦手な“組み合わせ爆発”を解くことを得意とした新しい計算機ができる。計算の結果は最終的に観測し、0か1かを確定(正確には、どの状態が最も可能性が高いかを観測)する。これが量子コンピューターだ。
Gemini-miniは特殊な液体化合物に対して電磁波を照射し、水素とリンの原子核のスピンを用いて量子計算を行う。このNMR(核磁気共鳴)方式は常温で稼働でき、装置を小さくできるが、量子ビットを増やすためには都合の良い化合物を見つけないといけない。
先日レポートした、産総研やIBMなど、各国で開発されている多くの量子コンピューターは、量子状態をとる極低温による超電導状態のなかの電流の向きなどを量子ビットとして、数個〜数十個コントロールして計算を行う。
SpinQでも、超電導状態の量子コンピューターを開発している。現時点で実現しているのは20量子ビットほどだ。世界記録の53量子ビットを実現したIBMにしても、今の電子計算機が64ビット(2の64乗、数字では約1844京)の計算を1秒間に300億回以上、しかもまる一日に渡って行うことができるのに比べるとまだ実用的とは言い難い。
それでも、「普通のコンピューターが苦手な計算が解ける」ということには無限の可能性があり、世界各国で量子コンピューターの研究は進んでいる。
SpinQのCEOの项金根(シャン・ジンセン)氏が、量子コンピューターとSpinQの戦略について、後日メールでのインタビューに答えてくれた。
――SpinQの創業について
1981年に量子コンピューターという概念が登場したが、産業化への試みは2016年にIBMが5量子ビットの量子コンピューターを発表してから、まだ始まったばかりだ。従来のコンピューターの性能向上をもたらしたムーアの法則が限界に近づいていること、薬品開発など、さまざまな分野で量子コンピューターの応用が求められていることなど、今は時代が量子コンピューターを求めている。
2018年にSpinQを創業したのは、こういう社会状況と、20年以上も量子コンピューターの研究を続け、香港科技大学で量子センターのディレクターを務めている曾 蓓(ベイ・ジャン)博士ほか、優れたチームと出会うことができたからだ。曾博士はSpinQのCSO(Chief Science Officer)だ。自分自身、清華大学で物理学のマスターを取得し、いくつかの外資系テクノロジー企業でソフトウェアやアルゴリズムのリードとして技術の実装から製品化まで経験してきた。そこで、量子コンピューターの産業化と普及を行うSpinQ(量旋科技)を創業することにした。
――当面の開発の戦略は
SpinQでは「NMR+超電導」戦略として、2種類の量子コンピューターを開発している。NMR型は大学や高校などの教育・研究機関向けで、深センの中学校でも12台導入されたことがある。すでに香港・マカオ・台湾、アメリカ・カナダ・ドイツ・ノルウェー・オーストラリアなどさまざまな顧客がおり、この分野ではリーダーと言える。
デスクトップ型量子コンピューターは「持ち運びができる」「より安定した信頼性が得られる」「メンテナンスフリー」という3つの特徴がある。教育分野での用途が可能だ。
超電導の量子コンピューターは、「現在、実際に役立つ性能を発揮できる唯一の方法」「専門の保守担当者がフルタイムで必要」「価格は高価」で、デスクトップ型とはまったく違う。
今後も両方を開発していくつもりで、デスクトップ型のポータブルで安定した、メンテナンスフリーで費用対効果の高い小型量子コンピューターを作ることで、量子コンピューター産業全体の普遍性を促進し、より多くの人々に量子コンピューターの価値を知ってもらいたいと考えている。
――将来的に目指していくのは
デスクトップ型を実際に販売して多くのユーザに触れることで、サポート含めた「ユーザ中心」の開発を目指していきたい。
超電導型量子コンピューターも、高周波の計測・制御システム、超電導量子チップ、全体を統合した試作機まで、技術要素すべてを自社で研究していく。
会社の事業としては、デスクトップ型量子コンピューターと超電導量子コンピューター、そして超電導量子コンピューターを使ったクラウドサービスの3つになる。クラウドサービスとアプリケーションについてはさまざまなパートナーと協力してソリューションを開発し、量子コンピューティングが多くの産業で実際に役立つものにしていきたい。
ハードウェアばかりが注目される量子コンピューターだが、もうひとつ大事なのは、計算用途に最適化されたアプリケーションだ。さらに、そもそもどういったケースで利用すると有効なのかという問題もある。今のところ「これなら量子コンピューターのほうが早く解ける」という問題は、それほど多く見つかっていない。期待は高いが、実際に使ったことがある人は少なく、量子コンピューターに対する誤解も多い状況だ。例えば「どのような問題でも量子コンピューターでは超高速に解ける」わけではない。あくまでも「量子コンピューターが得意な問題は、劇的に高速に解くことができる」ということだ。
低性能でも手軽に触れられる量子コンピューターが出てくることで、具体的に量子計算に取り組む学生や研究者が増えることは大きな意味がある。SpinQでは今、5量子ビットのデスクトップマシンも研究開発中で、開発に成功すると、2016年に世界最先端だったものが、大学に行けば触れるぐらいの距離に近づいてくることになる。SpinQ社は日本での販売も計画している。今後も注目していきたい。