バルト海に面した小国エストニアは、先進的な電子政府への取り組みで注目されている。2014年から、他国民でも仮想エストニア国民(e-レジデント)になれるe-レジデンシーカード(e-residency)の申請受付を開始した。同申請が認められ、エストニアのe-レジデントになると、日本で暮らしながら、エストニアを拠点にビジネスをすることも可能だという。
エストニアのおさらいをしておこう。人口約130万人。面積は九州の約1.2倍。旧ソ連から1991年独立を果たしたが、旧ソ連のICT(Information and Communication Technology=情報通信技術)の研究拠点であったため、ICT技術を有した人的資産が豊富だ。国家戦略の中心にICTをおき、国民全員にeIDカード(日本でいうマイナンバーカードに近い)の所持を義務づけており、これが電子政府構築の大きなベースとなっている。公的な手続きはX-Roadというシステムを利用し、電子認証・電子署名で完結する。行政手続きのほとんどから「紙」は駆逐され、業務効率化が進んだという。
そして今度は、「e-エストニア」というコンセプトのもと、仮想エストニア国民を増やそうという試みをスタートさせた。それがこのe-レジデントの申請受付である。約130万人のエストニア国民を1000万人に増やすことはむずかしい。しかし仮想エストニア国民であるe-レジデントを増やすことは可能だ。計画では2025年までに仮想エストニア国民を1000万人に増やそうとしている。
e-レジデントの実態について「日本・エストニア/EUデジタルソサエティ推進協議会(略称:JEEADiS)」代表理事前田陽二氏に話を聞いた。前田氏は「未来型国家エストニアの挑戦 電子政府がひらく世界」をエストニア人ラウル・アリキヴィ氏とともに出版している。JEEADiSは、エストニアの先進的なICT技術や戦略、体制、法制度などを収集・整理し、我が国の企業や個人に向けて、デジタル社会の構築について啓蒙活動を進めている団体である。
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― エストニアのe-レジデントへの申請はどのような状況でしょう?
現在の応募数は世界中から約27000名。日本からも約740名の申請がされているようです。(平成29年11月2日現在)
― どのような手続きが必要なのでしょうか?
並木さん(同席したJEEADiS会員)は実際にe-レジデントになった方ですので、その例をお話ししましょう。
(1)専用サイトにアクセスする
(2)パスポートとクレジットカード(ビザかマスター)を用意する
(3)サイトに必要事項を入力する
(4)申請がおりたら、駐日エストニア共和国大使館に行き、面談
(5)問題がなければe-レジデンシーカードとアダプター(カードを取り付けUSB経由でパソコンに差し込むとすぐe-レジデント画面が出る)を受け取り、e-レジデントとして活動が開始できる
― 費用や期間はどれぐらいかかるのでしょう?
専用サイトへの入力はものの10分程度で終えられます。ただし英語です。問題は、そこから申請がおりるまでが長いのです。エストニアの国境警備局で審査されますから、申請受付の連絡がくるまで3ヶ月ぐらい待つこともあります。連絡が来て、大使館に面談に行くときも英語力が必要ですから、自信がない人は通訳を連れて行くこともできます。手続きにかかる事務手数料は12,000~13,000円程度でしょうか(並木さん)。
― e-レジデントになった並木さんはどのような活動を?
エストニアにバーチャルオフィスを借りて、ビジネス立ち上げの準備をしています。オフィス費用は年間2万~3万円ぐらいで安価です。会社設立も非常に簡単です。資本金が必要ですが、それは後でもかまいません。これからエストニアのICT製品を日本で販売できないか準備中です(並木さん)。
― どうしてエストニアでビジネスをすることがそんなに魅力的なのでしょうか?
ひとつは、2018年から施行されるEUの「GDPR(General Data Protection Regulation・一般データ保護規則)」の影響があります。これにより、EUでビジネスをする企業は、EU域外へEU国民の個人情報を持ち出せなくなります。そこでエストニアにデータセンターを置こうという企業が続出しています。エストニアは、電子政府を運営するのに早くからブロックチェーンを活用し、強固なサイバーセキュリティ技術を持っています。エストニア政府は、電子政府関連の情報漏えい事故は今までないと言い切っていますね。
もうひとつは、エストニアが国策として起業を奨励していること。スタートアップがどんどん生まれやすい土壌だということです。あのスカイプ(Skype)もエストニア生まれです。エストニアの有力なスタートアップとコンタクトしたいという動きが世界で強まっているのです。エストニア出身のスタートアップでは、国際PtoP送金の仕組みを作ったトランスファーワイズ(TransferWise)が大きな注目を集めていますね。
― スタートアップが生まれやすい土壌とはどんなことなのでしょう?
たくさん起業しても、成功する起業家はわずかです。しかし、日本のように失敗して自分の財産を失ったり家族に迷惑をかけたり、という心配はありません。しょっちゅうカンファレンスが開かれており、そこでアイデアを披露すればすぐ資金が集まります。失敗してもその資金を失うだけですから、個人にはそんなにダメージは残りません。そんなことが起業意欲を後押ししているのではないでしょうか。
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実際にe-レジデントとなりエストニアを訪問してきた千葉恵介氏のセミナーを取材した。ちなみに千葉氏はまだ20歳。会場「BETTARA STAND 日本橋」は若い世代で超満員札止めであった。
セミナーでは最初に首都タリンの美しさ、空気のきれいさ、森の中でもネットが接続できることなどが紹介された。そして、タリンの空港周辺にある政府機関「e-エストニア」ではe-レジデンシーなどの情報が全て得られるので、まず訪れるべきだという。
千葉氏によると、エストニアのe-レジデントになっても、すぐビザがとれるわけではない、しかし同国内に会社を設立し、自分自身に一定額の給与を払い続けた後、在留申請を行えばビザが取得できる。「エストニアでビザがとれるということはEUのどの国にも行けるということです」つまり、これでエストニアを拠点にEUで自由に活動できるようになる。
さらに、千葉氏によると「2035年には世界でデジタルノマド(さまざまな地域でIT技術を活用して遊牧民のように働くワークスタイル)人口は10億人になる」という予測がある。そういった人の受け皿としてEU域内にあり、行政手続きが簡素なエストニアは魅力的なプラットフォームになるかもしれない。千葉氏も「そういう『旅するように生きる価値観』を持つ仲間とのプラットフォームを起業して作りたい」と語った。
こうした話を聞き、エストニアの仮想国民という政策は、人口減で悩む我が国に、何かヒントになるのではないかという印象を強くした。
あわせて駐日エストニア共和国大使館にも取材を申し込んだが、「取材はすべてタリン(エストニア)で受けます。大使館では面談しe-レジデンシーカードをお渡しするだけです」との返答(日本語)。それでは、関連するパンフレットなど資料をいただけないかと聞くと、「すべてはWebサイトに書いてあります。Webサイトをご覧ください」とはねつけられた。これぐらいデジタルシフトに徹底したからこそ、「紙の手続き」をほとんど廃止することができたのだなと、逆に感心した次第である。