近年は、イノベーションを生み出す街として語られる中国・深セン(Shen Zhen)も、ひと昔前は、雑多な町工場が集まり、安価な部品やコピー製品作りが横行する街だった。それが短期間で街は大きな変貌を遂げ、深センというブランドは大きく変化した。
7月に出版された『プロトタイプシティ 深センと世界的イノベーション』(KADOKAWA刊)の編者の1人であり、精力的に同地を観察してきた高須正和氏に深センの転換点について話を聞いた。
高須氏は、世界各地のメイカーフェア(娯楽としてのものづくりイベント)の愛好家で、2014年にふらりと深センのメイカーフェアを訪れ、それ以降この街のものづくり現場を間近で見てきた。
高須氏によると、イノベーションの発信基地として深センに注目した人は2014年以前にはほぼいなかったのではないかと言う。
2014年当時でも深センには多くの工場が存在していた。しかしこの街にある工場で、新しいものが生まれるということはなく、基本的には世界中の電化製品下請けの街だった。
「深センのメイカーフェアには面白いものはない」と人に言われ、あまり期待せずに訪問したのだが、“好き勝手に作られた変なもの”や“怪しいもの”など好みに合うものが予想外に集積されていたという。高須氏が、当時勤務していたチームラボの製品をその場で披露したら、大受けして深センのメイカーフェア運営者と仲良くなり、それから足繁く深センに通うことになった。
メイカーフェア界隈では名が知られていた高須氏が、「深センのメイカーフェアはめちゃめちゃ面白い」とSNSでつぶやくと「一緒に深センを回りたい」という人たちが現れ、3ヶ月後には「深セン観察会」が実施された。
SF作家の野尻抱介氏や、トマ・ピケティの『21世紀の資本』翻訳者山形浩生氏などが最初に参加者として手を上げた。その後、伊藤亜聖氏や当媒体でもおなじみの高口康太氏や澤田翔氏らが加わり、最終的には深センで製造サービス企業JENESISを経営する藤岡淳一氏を共同発起人としてコミュニティが生まれた。ちなみに、このコミュニティ(ニコニコ技術部深センコミュニティ)から今回の書籍が生まれた。
下請け工場の街と見えた深センにも、よく見ると変化の兆しがあった。どんな部品でも安価に入手できるこの街はプロトタイプ(試作品)製造には最適な場所だ。すでにその頃から多くの米国のスタートアップが深センに集まり、自分たちのアイデアを試作品にしていた。雑多な町工場の集まりの街に起業のタネがまかれ、芽吹きはじめていたのかもしれない。
「コピー品しかないと言われている深センだけど、そうでもない。DIYで作ったもの、しかもそこに米国の会社が出資してスタートアップみたいなものが生まれつつあることに気づいたわけです」(高須氏)
2015年、そんな深センにとって大きな波が押し寄せた。中国政府の「大衆創業万衆創新(大衆による起業・万人によるイノベーション)」プロジェクトのうねりだ。
「中国政府が『大衆創業万衆創新』を始める前までは、そもそも会社を作る時も、国が重点産業を決めてから始まるみたいなもので、北京を見ていないと話にならなかったのです。北京の政治家が必要だと思ったところに、産業が興るみたいな成り立ち方をしていたわけです」(高須氏)
VC(ベンチャーキャピタル)を興したり、スタートアップを始めたりすることについて規制緩和、いや、むしろ大きく奨励されることになった。
「2014年には、アメリカでオバマ大統領がメイカーフェアを開催したこともあり、グーグルみたいな会社を計画的に生み出すのは無理だな、ガレージでスタートアップするような連中が必要なんだなということが中国政府にもわかった。先に重点産業を決めるよりも、とにかくインキュベーションを奨励して、怪しくても個人がアイデアを仕事にしていく会社をどんどん作った方がいいと考えた中国政府はクレバーだと思います」(高須氏)
もともとものづくりの土壌があった深センは、2015年を大きな転換点として有象無象のスタートアップを生み出すことになった。
高須氏らニコニコ技術部深センコミュニティは、2020年現在の深センを「プロトタイプシティ」と定義づけた。
「プロトタイプ」とは、『頭でっかちに計画を立てるよりも、手を動かして試作品を作る。現在は、まずは手を動かす人や企業が勝利する』(同書まえがきより引用)を意味し、「シティ」は『多様性を持った人々が集まり、アイデアやノウハウを交換していく。必要な知識や発想を交換していくことでアイデアのタネが生まれていく。そのような場が都市となる』(同)ことを意味すると言う。
「深センには計画経済の中心である北京から遠く、外資含めてさまざまな製造業が集まっていることから、それ(プロトタイプ駆動)に向いた人たちが集まっているのです」(高須氏)
まずプロトタイプを作り、ユーザーに評価してもらうところから始めるという手法は、シリコンバレーも深センも似ている感じがするかと聞くと、高須氏は「そこはそっくりです」と答えた。
「まずデビューさせることが大事。先にアウトプットがあることの方が大事。そこはシリコンバレーのスタートアップ育成と似ている部分があるのかも知れません」(高須氏)
高須氏は、“自分の好きなものを作るために手を動かす人”のコミュニティが生まれ、知見が共有されていくことが大切な要素だが、狙ってそのような場を生み出すのは簡単ではないと話す。
日本にもコミケのようなコミュニティを生み出す土壌はある。 閉塞感を打破するために、社会全体が“自分の好きなものを作るために手を動かす人”をもっと評価し、増やしていく必要があるのではないだろうか。