新型コロナウイルスの感染拡大で経済活動が苦境にある中国で、今「従業員シェア(共享員工)」が注目されている。今回の新型肺炎禍で顧客が急減、開店休業状態に追い込まれてしまった企業と、逆に人手が足りず、仕事が処理しきれなくなっている企業が手を結び、従業員を融通し合って難局を乗り切ろうという試みである。
非常時の苦肉の策ではあるが、これが大きな社会的効果を生み、感染収束後の人々の働き方にも影響を与えるのではないかとの議論も出始めた。
1月25日の春節(旧正月)前後から全国に広がった厳重な移動制限、ほぼ強制的な自宅待機政策で、中国各地の街角からは人気(ひとけ)が消え、各地のショッピングモールや街の小売店、飲食店などでは休業に追い込まれるところが続出した。営業している店舗でも客足は激減し、開店休業状態の店が多くなった。
中でも飲食業は惨憺たるありさまで、春節休み中の2月1日、羊肉料理で有名な全国的な人気外食チェーン「西貝莜面村」の経営者がメディアに語った状況が社会に大きな衝撃を与えた。それによると、同チェーンは全国60都市で約360店舗を展開しているが、2月1日以降、正常に営業している店はわずか12%で、売上は平常時の5~10%ほど。もともと春節休みは年間最大の書き入れ時で素材の在庫も多く抱えている。春節前後1ヵ月の損失は日本円(以下同)で120億円に達する。
最大の難題は従業員の給料と店舗の家賃だ。家賃の一部はオーナーの配慮で減免されている部分もあるが、給与は休業中といえども支払わなければならない。人件費はコストの約30%、家賃は約10%を占める。同チェーンの従業員は全国で約2万人にのぼり、給料の総額は1ヵ月25億円に達する。このまま行くと3ヵ月余りで会社の資金が底をつく――。
全国的な有名チェーンですらこのような状況で、まして街の零細な飲食店の境遇は想像に余りある。
そうした状況の下、アイデアを出したのはまたもアリババだった。グループの生鮮食品スーパー「盒馬鮮生(Hema Fresh)」の北京地区のあるマネジャーが、「だったらウチに働きに来てもらえばいいじゃないか」と提案したのである。
「盒馬鮮生」は2016年、アリババグループの総帥、ジャック・マー(馬雲)が提唱した「ニューリテール(新しい小売)」のコンセプトに沿って誕生、現在では全国に200以上の店舗網を持つ生鮮スーパーである。アリペイ(Alipay、支付宝)などのビッグデータをもとにした精度の高い品揃えを武器に、店舗での通常のショッピングのほか、その場で食材を調理してくれる飲食スペースを持ち、アプリで注文すれば最短30分以内に自宅までデリバリーもするという斬新な経営が売り物である。
感染の拡大で事実上の「自宅軟禁」に近い状態にあった都市部の市民にとって、「盒馬鮮生」による食材のデリバリーは「生きる最後の望み」(上海に住む筆者の友人)はややオーバーにしても、中国の都市生活者にとって豊かな食生活を維持できる生命線だったことは確かである。そのため「盒馬鮮生」のデリバリーには注文が殺到、通常の配送体制では手に負えない状態になった。前述のマネジャーが「ウチに来てもらえば」と提案したのは、そういう状況下だったのである。
この仕組みが実現すれば、従業員を待機させている外食企業にとっては人件費を肩代わりしてもらうことで負担を大きく軽減できる。受け入れ側の「盒馬鮮生」にとっては、人手が不足するデリバリー部門の助けになる。そして働き手にとっても、デリバリーの仕事は歩合制の部分が大きく、注文はいくらでもあるので、頑張れば収入増も期待できる。自宅でデリバリーを待つ顧客のことも考えれば、まさに「一石四鳥」の妙手と言えた。
そこからの動きは速かった。「盒馬鮮生」のスタッフが北京市政府の商業管理部局にかけあうと、「それはいい。すぐやろう」と即決。上述の「西貝」ほか、「雲海肴」「青年餐庁」など北京を主要な基盤とする他の外食チェーンも即座に賛同し、前述の「西貝」苦境の話がメディアで報じられた翌々日の2月3日には、早くもそれら外食チェーン各社の従業員が続々と「盒馬鮮生」に出勤するという迅速さだった。このあたりの中国社会の柔軟さ、臨機応変さは驚くべきものがある。
仕組みは以下のようなものだ。従業員を送り出す企業は、その間の給料は支払わないが、引き続き従業員の「籍」を保持し、社会保険の費用などを負担する。受け入れ先の企業からは一切の費用は徴収しない。受け入れ先の「盒馬鮮生」は、人員の健康調査、身体検査を行い、業務に必要な研修を実施、必要なら防護服やマスク、消毒液などを用意して、仕事に応じて期間中の賃金を支払う。働く本人は、もともとの就業先との雇用契約は維持したまま法的な身分的は変わらないが、実際の仕事は「盒馬鮮生」で行う。肺炎禍が収束し、元の勤務先の営業が正常化すれば、そこに戻るのが原則である。
こうしたやり方で、2月14日までの2週間ほどの間に40社以上の企業から計2700人の従業員が「盒馬鮮生」に場所を移して業務に就いた。さらに、この仕組みの成果がメディアなどで伝えられると、アリババのライバルで、Eコマースのほか同じくデリバリーを売り物にしたスーパー「7フレッシュ」などを展開する「JD(京東)」をはじめ、家電量販店から発展した有力流通グループ「蘇寧易購(Suning.com)」などの著名企業が次々と同様の仕組みを導入、正式な統計はないが、新たに生まれた就業機会は10万人を超えるとされる。
メディアはこのような従業員の一種の「貸し出し」を「従業員シェア(共享員工)」と呼ぶようになり、認知度が高まった。それにともなって送り出し側もその範囲が大きく広がった。当初の外食中心から、次第に同じく顧客の激減に見舞われたホテル業界やカラオケルーム、授業や講座が開けなくなった各種の学校の教師や事務員、工事が停止になった建築現場の労働者、歩合制中心の各種営業職の人たち――などもこの仕組みを利用し始めた。中には客が減ったタクシー会社が集団でスーパーのデリバリーを請け負い、車に食品を積んで配達して回ったという話もある。
中国では日本に比べ、一般的に雇用の安定性が低い。もともと長期雇用、俗にいう終身雇用の観念は薄く、企業はその時々で最も効率の高い人材を有期契約で雇用し、働き手のほうも、その時点で自分に最も都合の良い働き方、勤務先を選んで移っていくという傾向が強い。そのため公務員や大手企業の幹部ホワイトカラーは別として、一般の企業では正社員といっても実は固定給部分の比率が低く、歩合制の比率が高い賃金設計で働いている人が少なくない。これは企業側の思惑もあるが、必ずしもそれだけではなく、働く側も、景気の動向や自分の成果に応じて高い報酬が得られる歩合制を好む人が相当数、存在する。
こうした働き方は営業職などに多いが、このタイプの従業員は、今回のようにほとんど営業活動が不可能な状況になるとお手上げで、収入が激減する。固定給だけでは家賃も払えない若い人たちが数多くいる。そうした人たちが、現在の雇用先と話し、一時的に非公式な休職のような形にしてもらって、先に述べたようなデリバリーなどの仕事で当座の現金を稼ぐといった行動も起きている。このあたりの良い意味での「いいかげんさ」は中国社会の強みのひとつと言っていいだろう。
この動きがさらに発展すると、スーパーのデリバリーといった業務だけでなく、工場などでも互いに従業員を融通する動きが出てくる。例えば、安徽省合肥市の「ハイアール(海爾)工業園」という工業団地では、市内のレストランで一時的に仕事がなくなった従業員を借り受け、冷蔵庫の生産補助として働いてもらう方策を取った。感染の拡大で長期間、自宅に籠もらざるを得なくなる人が増え、食料や冷凍食品の保存のため大型の冷蔵庫が人気を呼んで、生産が間に合わないのである。
また山東省威海市では、ほぼ営業休止に状態に追い込まれたレストランチェーンが、春節で帰郷した従業員が戻れずに人手不足だった市内の食肉加工工場に280人の従業員を送り込み、やはり両社と従業員の「三方一両得」を実現した――といった事例もあった。
このような「従業員シェア」は、厳密に言えば中国の労働法規に鑑みてグレーの部分もあり、法律関係者からは疑問の声もある。当局も今は非常時の扱いで黙認しているのが現状だろう。3月に入って武漢市以外では次第に経済活動が復活し始め、それにともなって元の職場に復帰する人も増えている。
今回の「従業員シェア」の実践を通じて、この手法は企業や個人にとってメリットがあり、やってみると意外になんとかなるという「発見」もあったようだ。企業にとっては、どんな業種でも季節や天候、景気動向などによって一定の繁忙期、閑散期の差は出る。そのあたりをうまくマッチングできれば、企業と従業員の双方にとって効率的な働き方があるかもしれない。ある会社での「籍」は維持し、立場的には正社員のままで、会社にとっても、従業員個人にとっても、もっと有利な関係を築ける可能性があるのではないか。そんな見方が、この新型肺炎での「従業員シェア」の実践を通じて、中国社会に生まれ始めてきている。
こうした柔軟な対応が可能な背景には、細かいことにこだわらず、大局の利益を重視して行動する中国社会の柔軟さ、自らの所属や形式にこだわらず、目の前の機会を貪欲につかもうとする個人の自立精神といったものがある。自宅待機になって「休業補償してくれるのか」と心配するだけでなく、さっさと会社と話をつけてお金を稼ぎに出てしまう。こういう前向きな中国人の発想に、私たちも学べる部分があるように思う。