ディープラーニング技術を中心としたAI(人工知能)技術の開発競争が世界中で進んでいる。それに伴い、ディープラーニングやデータサイエンスなど先端AI技術の知見を持つ「AI人材」の不足が課題となっている。
カナダでは2017年にディープラーニング研究の第一人者であるジェフリー・ヒントン教授がAI教育・研究機関の「ベクター研究所」を設立。アメリカでは2018年にマサチューセッツ工科大学が「人工知能大学(MITスティーブン・シュワルツマン・コンピューター大学)」を設立するなど、世界各国でAI人材を育成する動きが活発化している。
こうした中、日本のAI人材育成の現場ではどういった活動が進められているのだろう。東京大学の松尾研究室が開発したAI人材育成コンテンツを、企業向けに提供しているNABLAS株式会社(以下、NABLAS)代表取締役CEOの中山浩太郎氏に、同社のAI人材育成コンテンツ(「iLect」)や、新設した教育拠点(「iLect Studio」)について聞いた。
※2020年4月15日現在、新型コロナウィルスの影響により対面講座を見合わせており、参加者はオンラインでのみ講座を受講いただけます。新サービス「iLect ON」についての詳しい内容などはこちらをご確認ください。
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まず中山氏にNABLASが提供しているAI人材育成コンテンツ「iLect」がどういうものか聞いた。
中山氏は、東京大学でAI技術やディープラーニングの研究を10年ほど続けている。2014年からは東京大学工学系研究科松尾研究室に所属し、主に学生や研究者に向けたAI人材教育活動に注力してきた。その活動をより幅広く社会に広める必要があると考え、同研究室の松尾豊氏らとNABLAS社を設立。東京大学からライセンスを受ける形で事業化し、企業向けに提供しているのが法人向けAI人材育成プログラムの「iLect」だ。
講座のラインナップは、Deep Learning基礎講座やデータサイエンティスト育成講座などのエンジニア向けの演習型講座もある一方で、プログラミングの経験がないビジネスパーソン向けの講座も用意している。
「例えば、上層部のビジネスパーソンがAIについて正しく理解していないと、意志決定の際におかしな方向に向かってしまいがちです。ですから、経営者や政治家など物事を決定する立場の人向けにも講座も用意し、実際に演習(プログラミング)も体験してもらいながら、AIへの理解をより深いものにしてもらおうと考えています」(中山氏)。
AI人材の育成ポイントはどういったところにあると感じているのか。中山氏は、東京大学やNABLASでのAI人材育成を通して、「コミュニティ型AI人材育成」という独自の方法論を構築している。この中に3つの重要な要素があり、それは「プログラミング中心」「コンペティション(競技)」「コラボレーション」のだと述べた。
中山氏によると、コンピューター・サイエンスの領域では、講義の内容を深く理解するため「プログラミング中心」の演習が欠かせない。とくに体系化されていないディープラーニングなどの先端技術の習得には演習は必要不可欠だという。そこで中山氏らは、仮想化科学計算システム(「iLect System」)を開発し、コストを抑えながら受講者一人一人にプログラミングできる環境を提供している。
受講者の自発的な学習意欲を引き出すために採用しているのが「コンペティション」形式の宿題だ。受講者は、機械学習のモデルを学習したら、モデルを自ら構築し提出する。そのモデルの精度の善し悪しで順位を競う形式にすることで、受講者が講義で教わっていない技術なども自ら調べ、モデルの精度を上げようと試みるという。
「『自分で調べ、データを処理し、モデルを作り、パラメーターをチューニングし、問題があれば解決する』、この一連の流れを繰り返し体験することで、実際に問題が起きたときの対応力が身につきます。実践力が大きく伸びるという点からも、コンペティションの仕組みは受講者からも高い評価を得ています」。
もうひとつの要素「コラボレーション」を実現するため、中山氏らは「リアルタイムで講義を受けてもらうこと」を重視。同じタイミングで同じコンテンツを学ぶことで、受講者間の議論がより活性化するのだという。
「AI分野では、教える側も圧倒的な人手不足です。そうした中で受講者同士がコミュ二ティを形成し、自ら議論し問題を解決できる環境を構築することは、非常に意味のあることだと考えています」。
NABLASは、今年(2020年)3月に教育拠点となる「iLect Studio」を東京大学の近隣にある建物(本郷綱ビル)の1階に新設した。わざわざ学ぶ場所まで用意したその狙いはどこにあるのだろうか。
NABLASではAI人材育成コンテンツをさまざまな企業に提供しているが、これまでは企業側が用意した会場に出向いていたため、受講できるのは会場を用意できる大企業に限られていた。こうした中、「少人数だけど参加したい」という中小規模の企業やスタートアップのニーズに応えるため、自社で教育拠点を新設したという。
もうひとつは、AI関連の研究者やビジネスパーソンなどが混じり合うコミュ二ティを形成するためだ。AIの分野は技術の進化が速いため、「ひとつの企業や研究所の中で完結して技術を開発するような世界は終わる」可能性が高い。そうしたときに、さまざまな企業や研究所に属したAI人材が、最新の知見や技術、課題を持ち寄りコミュニティとして成長する場が必要になる。
「その“箱”となるのが『iLect Studio』であり、スタジオに併設されたコミュ二ティスペース『iLect Commons』です」。
NABLASでは、企業の研究機関などに所属する研究者などをゲストスピーカーとする研究会(「SIGDORA=Special Interest Group of Deep Learning and Application」)の開催を予定しているが、こうしたイベントを通して大学側の人材と企業側の人材との交流を促し、コミュニティ形成を促したい考えだ。
「世界的なAI人材育成の流れとしては、産と学をつなぐ機関や場が作られ、技術の社会実装が加速していると思います。我々が『iLect Studio』を含めた新しい拠点を東京大学の真向かいに作ったことにも関わってきますが、やはり大学との連携は大事にしながら、技術や人を社会問題につなげていくことに貢献したいと考えていて、その鍵になるのがコミュ二ティの形成だと考えています」。
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2019年に内閣府が「AI戦略2019」を立案し、年間25万人規模のAI人材育成を目標に掲げた。その中で、大学や国立研究開発法人が(企業との)共同研究機能を外部化する仕組みが検討されるなど、産学連携を促す取り組みも始まっている。中山氏が目指すコミュニティの形成もそうした流れに沿った活動のひとつと言えるだろう。産と学の結びつきの強化がAI人材不足解消や技術力向上へとつながることを期待したい。