連載「日本人が知らない、世界のスゴいスタートアップ」では、海外のベンチャー投資家やジャーナリストの視点で、日本国内からでは気が付きにくい、世界の最新スタートアップ事情、テック・トレンド、ユニークな企業を紹介していきます。今回のテーマは、使っていないGPUを貸し出して、GPU不足の解消を目指すスタートアップの話題です。(聞き手・執筆:高口康太)
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2022年末のChatGPTの登場から1年あまり、生成AIは日進月歩でレベルアップしている。AI(人工知能)にお願いすればなんでもやってもらえる……。といった都合の良い話が実現するのはまだまだ先のようだが、それでも便利な使い方はいろいろある。
私自身の経験では、企画書や原稿を書いてもらっても売り物にならないモノしか出てこないが、自分が書いた原稿にダメ出しをもらうと参考になることも多い。厳しいご指摘にイラッとすることもあるが、人間に指摘されるよりは感情的にならなくてすむ。他にも、「自分の知らない分野の基礎的な知識をまとめてもらう」「プログラミング勉強の教師になってもらう」「エクセル操作の効率的な方法を学ぶ」といった点でも重宝している。
一方で、AI課金はお財布に厳しい。有料版のChatGPTやGemini Advancedはそれぞれ月額3千円ほど。他にも気になるAIサービスは続々と登場してくる。私のお財布が厳しいだけならともかく、AIをはじめとする新たな情報サービスの登場は日本経済にも負担になる。三菱総合研究所のレポートによると、情報サービスの利用料、ソフトウェアのライセンス料やクラウド料金、ウェブ広告の出稿費などから構成される、デジタル関連収支は2023年に5兆5000億円の赤字となった。オーバーツーリズムが懸念されるほどに外国人観光客が日本に訪問しているというのに、旅行収支は3兆4000億円の黒字で、デジタル赤字を補うにはいたらない。しかも、AIの発展によってデジタル赤字は今後さらに拡大すると予想されている。
赤字削減のためにも、日本国産のAIサービスがもっと増えてほしいところだが、ボトルネックとなっているのがデータセンター用GPU(グラフィックス・プロセッシング・ユニット)の確保だ。生成AI開発ではエヌビディアのGPUがデファクトスタンダードとなっており、米ビッグテックが中心となって争奪戦がくり広げられている。日本・経産省はスタートアップ企業に計算リソースを提供するなど対策に乗り出しているが、支援を受けられるのは認定を受けた企業だけだ。
お金がない企業はどうしようもないのだろうか?
この問題にユニークな解決策を示している企業があるという。世界のスタートアップ事情に詳しい台湾の投資家、マット・チェン氏を語り部にご紹介したい。
※鄭博仁(マット・チェン、Matt Cheng)ベンチャーキャピタル・心元資本(チェルビック・キャピタル)の創業パートナー。米国、中国を中心として世界各地のベンチャー企業に出資している。起業家時代から約20年にわたり第一線で活躍する有力投資家として、中国で「エンジェル投資家トップ10」に選出されるなど高く評価されている。
――生成AIブームのあおりを受けて、エヌビディアの勢いが止まりません。
マット・チェン(以下、M):ビッグデータ、アプリ、SaaSなど米シリコンバレーのトレンドは変化してきましたが、ここにきて“シリコン”バレーの由来となった半導体に原点回帰しています。アマゾン、マイクロソフト、グーグルのクラウド大手。メタやテスラのようなAI開発に邁進するビッグテック。さらにOpenAIに続くスタートアップ企業も続々と生まれています。こうした企業はみなコンピューティングパワー、つまりエヌビディアのチップ獲得に躍起になっているのです。
今やエヌビディアのGPUは「希少資源」です。2023年、ユニークなニュースがありました。GPUに特化したクラウド・スタートアップのCoreWeaveは保有する高性能GPUチップH100を担保として23億ドルの融資を獲得しました。GPUは新製品の性能向上が著しく価値が陳腐化していくものでしたが、争奪戦があまりに激しいために資産として認められたわけです。
OpenAIはGPU不足により、2023年末に数週間にわたってChatGPTの新規ユーザー受付を停止しました。OpenAIのサム・アルトマンCEO(最高経営責任者)は7兆ドルというとてつもない資金を調達し、半導体施設を自ら建設する構想を持っていると伝えられました。GPU不足が、この先もAIビジネスのボトルネックになるとにらんでいるのでしょう。
OpenAIほどの有力企業であっても、GPU不足に苦しんでいるのです。スタートアップならなおさらです。知人のスタートアップ起業家から聞いた話によると、クラウドサービスでのGPUリソースを確保しようとしても、数ヶ月〜半年は待たされるのだとか。GPUは、AIスタートアップの参入障壁となっているのです。エヌビディアが製造した最新GPUのうち、スタートアップに供給されるのは6%以下と推定しています。これから製品を開発するスタートアップは数億ドルの資金を用意できなければ、スタートラインに立つことすらできない、そういう状況が生まれています。これまでスタートアップ企業が成功を収めてきたアプリ開発やSaaSとは全く異なる論理で動く世界なのです。
――今後、このGPU不足が改善される可能性はないのでしょうか?
M:むしろ深刻化する可能性が高いでしょう。というのも、汎用コンピューティング(general purpose computing)から専用コンピューティング(niche computing)という新たなトレンドが生まれるためです。テキスト生成や動画生成ごとに異なるチップが必要となります。すでにグーグルはディープラーニングに特化したTPUというチップを独自に開発していますし、米国の生成AI企業Groqは独自の言語処理ユニット(LPU)をリリースしています。
チップの細分化によって、クラウドベンダーによるコンピューティングパワー供給のハードルは上がるでしょう。「自社に必要なチップがどこにあるのかを探す」という新たなタスクが加わるからです。
――結局、GPUなどのAI開発に必要なチップを購入するハードルは高いままというわけですね。
M:ですが、「購入」とは別のアプローチがあります。それが「分配」です。GPUの奪い合いが起きているのはここまで説明したとおりですが、しかし購入されたGPUがフル稼働しているわけではありません。確保はしたけれども使われていないチップや、ピーク時以外は稼働していないチップが多数あると推定されています。一説によると、米国のデータセンターの稼働率は12~18%程度ときわめて低水準にとどまっています。
こうした計算能力をかき集めて、仮想のクラウド・データセンターとして提供するスタートアップが米国のInference.ai(本社・カリフォルニア州パロアルト市)です。世界中のデータセンターの未使用状態にあるGPUのコンピューティングパワーと、必要としている企業とをマッチングします。アマゾンやグーグル、マイクロソフトなどの大手クラウドプロバイダーと比べると、約80%も安い価格で提供できています。
彼らのキャッチコピーは「Airbnb for GPUs」。自宅の使っていない部屋を貸し出すというコンセプトから始まった、民泊プラットフォームのAirbnbのようなシェアリングエコノミーを、AI開発の分野に応用しようという構想です。2023年創業の新しい会社ですが、この画期的なアイデアにひかれて私も出資しました。
――面白すぎるアイデアですが、実行可能なものなのでしょうか?
未使用のコンピューティングパワーの活用には、過去にも事例があります。一般のパソコンが何のタスクも実行していない、遊休状態の時にその計算力を借りるという仕組み。これを分散コンピューティングプロジェクトと言います。タンパク質の分析を行うFolding@homeは、2000年にスタンフォード大学を中心に立ち上げられたプロジェクトで、長い歴史があります。
また、Inference.aiの創業者であるジョン・ユエCEO、マイケル・ユーCTOは、2019年にBifrost cloudという分散ストレージサービスを提供しています。世界中のデータセンターのストレージ空き領域を必要な企業とマッチングするサービスです。大手クラウドストレージプロバイダーの10分の1という安さを実現しています。
――GPUのAirbnbと言われるとびっくりしますが、過去のアイデアからの正統な発展なのですね。
Inference.aiの売りはマッチングを行うだけではなく、AI開発に必要なコンピューティングパワーを試算できるプログラムを開発したことにあります。AIの開発には膨大な量のデータを使ったトレーニングが必要ですが、そのためにどれほどのコンピューティングパワーや時間が必要なのかはブラックボックスとなっていました。お金がないスタートアップ企業にとっては、いくらかかるかわからない不安な気持ちでトレーニングに挑んでいたのです。AI開発費用の大まかな見積もりが出せる。これは大きなポイントです。
AIブームは優秀な起業家にとっては大きなビジネスチャンスですが、GPU不足が枷となってきました。しかし、課題あるところに商機あり、です。GPU不足を嘆くのではなく、それをチャンスとしたInference.aiのチャレンジはすべての起業家にとって貴重な学びではないでしょうか。
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「エヌビディアがすごい」というニュース記事は山のようにあるが、そこにビジネスチャンスをかぎつける才覚とアイデアにはなるほどと思わされた。AIが今後、産業規模を拡大させていくことは間違いないだろうが、その周辺には想定外の商機がごろごろしている。「札束の殴り合い、設備産業化するAIビジネス」だとあきらめてはならない。そう、勇気づけられるエピソードではないか。