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管理・監督者からパートナーへ 大きく変化した深センで働く外国人の役割

深セン国際人材交流に招かれた在中外国人スタートアップたち

深セン国際人材交流に招かれた在中外国人スタートアップたち

「世界の工場」深センには、今も多くの外国人、特に日本人が、工場のマネージャーとして赴任している。ところが、深センの産業が高度化するに従って、その状況が変わりつつある。

 2020年12月、深セン市宝安区の外国人人材イベントは、「宝安区には現在5000人を超える外国人が働いていて、最大は654人の日本人。多くが工場で管理・監督業務をしている」という言葉で始まった。

監理・監督者ではなくパートナーとして

 しかし、こうしたマネージャーとしての日本人の役割は、中国の発展とともに縮小し、深センの外国人にはパートナーとして中国人たちと一緒に働くという、別の役割が求められている。イベントには多くの外国人がスピーカーとして来場していたが、今回招待の声がかかったのは主にスタートアップの関係者たちで、工場の管理者はいなかった。

マレーシア人のJenxi(写真右 左は筆者)。JenxiはCheezflowというマーケティング・ビデオ制作などの会社を深センで起業した
マレーシア人のJenxi(写真右)マーケティング・ビデオ制作などの会社「Cheezflow」を深センで起業

 筆者自身もこのイベントのスピーカーで、深センで働く外国人だ。筆者も工場のマネージャーではなく、日本のエンジニアたちが使いたがるようなセンサーやマイコンボード、新しいテクノロジーをもたらすパートナーを開拓し、提携や投資を含めてビジネスを作る事業開発を仕事にしている。

 深センには、自らハードウェア量産を計画している欧米人が起業したスタートアップも多い。コロナ渦で海外との往来は不自由になったが、欧米がコロナ蔓延で危険だったこともあり、ここ2年以上とどまり続けている欧米のスタートアップ関係者も多い。

 スタートアップはせいぜい3、4人で構成されているため、雇用統計などにその存在が数として表れないが、ハードウェアを製造しやすい環境を求めて海外からやってくる人たちが少なくないというのは、深センの重要な特色だ。こうした外国人同士で、価値のある現地のパートナーについての情報を交換することはよくある。

外国人パートナーが必要な理由

 スタートアップの関係者以外では、現地企業でマーケティング関連の仕事をしている外国人も深センには多い。

開発ボード企業Khadasで。奥のパキスタン人ファハドと手前のシンガポール人ヨジュンが海外マーケティングを担当
開発ボード企業Khadasで。奥のパキスタン人ファハドと手前のシンガポール人ヨジュンが海外マーケティングを担当

 中国は国内で独自のインターネットを形作っている。ネット規制は日々厳格さを増す一方だが、中国発のITジャイアントも続々誕生している。中国インターネットの独自さは増すばかりで、情報伝達の形や、広告やマーケティングの手法は国内外で大きく異なる。

 製品を販売する上でブランディングや広告、さらにコミュニティづくりといった活動はとても重要だ。だが、中国国内だけでマーケティングをやっていると、フェイスブックやユーチューブなどに触れることがないため、欧米では標準のSNSを活用する国でのWebマーケティングができない。多くの中国企業では、外国人を雇用することや、海外に留学し他の外資企業で働いていた中国人を雇うことでこの問題を解決しようとしている。

 また会計や取引のルール、輸出法規制のからみなどもあり、ここでも外国の事情に通じた人材向けの仕事が発生している。消費者保護や品質管理などの法律は中国でもここ数年急速に整備されているが、それらの法律も中国社会を前提に作られるため、国外と常識が合わないことは多々ある。

 そうした中国の会社が苦手な仕事を補う部分で、外国人がパートナーとして必要とされることは増えている。

M5Stackに加入した組み込みエンジニアのナノ(写真右)と筆者(写真左)。以前は杭州で働いていたという。
M5Stackに加入した組み込みエンジニアのナノ(写真右)以前は杭州で働いていた

 実際、筆者も複数の名刺を持っており、深センの企業であるインキュベータ大公坊创客基地やアートプロデュースのMakerNetなどの企業のフェローやメンターとして、それぞれの会社にも籍を置いている。日本の会社として深センのパートナーを見つける仕事と、深センの会社として日本や他のアジアの国々の組織とつながりを作ることは相乗効果のある仕事で、こうしたパートナーとしての外国人の役割は今も大きい。

 マーケティング人材以外にも不足しているのはエンジニアだ。エンジニアについては、開発を進める上でのコミュニケーションが中国語で行われるため、外国人が働こうとするとそこがハードルになる。しかし優秀なエンジニアの採用はどこの国でも難しく、中国もその例外ではない。深センでもハードウェア関係のエンジニアなど、言葉の影響が少ないところから、外国人の採用や海外の協力会社との協業が進んでいる。筆者の身近な企業でも、ロシア人やインド人を採用したり、日本のエンジニアが開発に協力している例などもあり、外国人材の採用やオフショアリングが進んでいる。

90年代の深センは歴史の中へ

「世界の工場」深センでは、今も多くの工場の壁に「4S」「5S」といった言葉が貼ってある。「整理、整頓、清掃、清潔」など、日本語をそのまま取った工場現場の品質向上を促すスローガンだ。イノベーション都市と言われる深センの発展は、下請け工場を日本・台湾・香港などから引き受けることで始まった。1990年代は、仕事も技術も管理も外国から深センに持ち込まれ、中国人は労働力だけを提供していた。

 今も深センにいる日本人の多くは、引き続き工場で生産管理などの仕事に従事しているが、こうした役割の外国人は、中国企業の躍進と全般的な賃金増加、街の成熟などで縮小し続けている。

 仕事も技術も外国から持ち込み、深センの住民に期待するのはその労働力だけといったような企業は深センから退場し、より発展の浅い国に向かっている。

異文化のるつぼ「来れば、すなわち深セン人」

 深センは中国の改革開放政策により、40年程前に突如発展を始めた街である。東京都ぐらいの面積に、30万人程度が暮らしていた貧しい漁村は、現在1700万人以上の人口を抱える大都市に成長している。

 昔も今も、お金を稼いで人生を変えたい人たちが中国南方各地から深センに集まる。そのため、広東語が主に話される広東省にあるにも関わらず、やりとりのほとんどは普通語(テレビなどで聞かれる共通中国語)だ。その一方で、住民の出身地の多様さを反映し、中国各地の郷土料理のレストランが軒を連ね、それぞれの店内で飛び交う広東語、客家語、福建語、ウイグル語などは互いにほとんど通じないといった街の景色も珍しいことではない。そうした人工的な成り立ちと全中華圏カルチャーのモザイクぶりから、深センをニューヨークに例える人もいるほどだ。

「来れば、すなわち深セン人」(来了,就是深セン人)は深センを貫くスローガンだ。外国人もその深センの一部を担っているが、その役割は深センの成長に伴って大きく変わりつつある。

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オープンソースハードウェア、メイカームーブメントのアクティビスト。IoT開発ボードの製造販売企業(株)スイッチサイエンスにて事業開発を担当。 現在は中国深圳在住。ニコ技深圳コミュニティCo-Founderとして、ハードウェアスタートアップの支援やスタートアップエコシステムの研究を行っている。早稲田大学ビジネススクール招聘研究員、ガレージスミダ研究所主席研究員。著書に第37回大平正芳記念賞特別賞を受賞したプロトタイプシティ』(KADOKAWA)、『メイカーズのエコシステム』(インプレスR&D)訳書に『ハードウェアハッカー』(技術評論社)など。