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「既存のどの酒にも例えられない味」 世界初“木からつくる酒”の可能性

「木の酒」のサンプル。ちなみに、スギの酒はスギ花粉症の人が飲んでも大丈夫とのこと

「木の酒」のサンプル。ちなみに、スギの酒はスギ花粉症の人が飲んでも大丈夫とのこと

 鼻を近づけると、まず広がるのはアルコールの重い薫香、わずかな間を置いて早朝の渓流のような爽やかさが追いかけてきた。ウィスキーと似ているが、どこかが違う。けれど心地よい香りであるのは違いない。

「これがミズナラでつくった酒です。この木はウィスキーを熟成する樽にも使われます。ウィスキーラクトンという香り成分を含んでいて、酒にしてもその香りが残っているのですよ」

森林総合研究所・野尻昌信研究専門員
森林総合研究所・野尻昌信研究専門員

 そう語るのは、国立研究開発法人 森林研究・整備機構 森林総合研究所(茨城県つくば市)の野尻昌信研究専門員。木質バイオマスの利活用を専門とする研究者だ。彼に案内された研究所のテーブルには、ミズナラをはじめ、スギ、シラカバ、ヤマザクラ、クロモジといった樹木の名前のラベルを貼った小瓶が置かれている。野尻氏のチームが開発した技術でつくられた「木の酒」の数々だ。

 現在、この酒を口にできるのは、研究所が不定期に開催する試飲調査時のみ。取材時に賞味することはできなかったが、香りだけでも非常に興味深いものだった。

 材料となる木によって香りが大きく異なる。スギはすっきりとしながら柔らかで華やかな香り。シラカバは白ワインを連想させる果物のニュアンスがある。ヤマザクラも果物という点ではシラカバに通じるが、どちらかというと吟醸香のような和の印象を受ける。香木としても用いられるクロモジはかなりユニークで、柑橘類とスパイスを混ぜたような刺激的な香りをしていた。

「過去の試飲調査での、味の評判は悪くありません。飲食業の関係者の方からは、シラカバの酒はフルーティで香りが強すぎないため、いろいろな料理に合うだろうという声も。アルコール度数が30%程度と高めですが、ロックで飲むのがよいと思います。クロモジは少し香りが強いので、割って飲んだ方がよいかもしれませんね」

 麦、米、イモ、果物、サトウキビ、蜂蜜、動物の乳など、酒の原料となる素材は無数にあるが、酵母がアルコールを生成する際のエサとなる糖をある程度含んだものに限られる。カエデの樹液からつくる酒などは存在するものの、「木」そのものを酒の原料とする技術は世界初であるという。

「湿式ミリング処理」で広がる木材の利活用

 木材は主にセルロース、ヘミセルロース、リグニンという3つの物質からできている。木材の加工品として身近な紙は、セルロースが原料だ。また近年では、セルロースとヘミセルロースからバイオエタノール(燃料)をつくったり、リグニンからプラスチックの代替素材をつくったりする技術が確立されている。

 しかし問題は、これら3つの物質を活用できる状態にするには苛性ソーダや硫化ナトリウムなどの劇物を使ったり、環境負荷が大きい高温高圧の処理をしたりする必要があったことだ。また、副反応によって人体に有害な物質が生じる可能性があるため、用途が限定されていた。

「木の酒をつくる発端となったのは、私たちチームの大塚祐一郎主任研究員の研究でした。彼は化学処理をせずに木材の有用な成分を取り出す方法を模索しており、木材を徹底的に細かくして細胞壁を破壊することでセルロース、ヘミセルロース、リグニンの分離に成功したのです」

湿式ミリング処理を施された木材(右)
湿式ミリング処理を施された木材(右)

「湿式ミリング処理」と呼ばれるこの技術の仕組みはシンプルだ。粉末状にした木材に水を加え、セラミックの一種であるジルコニア(人工ダイヤモンド)のビーズとともにミル(臼)のなかで高速回転させる。ビーズと接触することで木材は一つひとつが直径2マイクロメートル未満(2ミリメートルの1000分の1)の粒子になるまですり潰される。

 この処理を経た木材を実際に見せてもらった。クリーム状になっており、木とは似ても似つかない。ここからセルロースとヘミセルロースから変化した糖液(上澄み)を取り出し、酵母を加えて発酵させると酒になるという。

「最初の段階ではアルコール度数2%ほどの液体ができ、これを2回蒸留するとアルコール度数30%程度の酒になります。スギなどの針葉樹は密度が低くセルロースが出やすいので、2kgの木材から市販の酒瓶1本分(750ml分)の蒸留酒ができます。一方で広葉樹の場合は、その倍の量の木材が必要になってきます」

 これまでに8種類の樹木で実験を行っており、基本的にはあらゆる樹種から酒をつくることができると野尻研究専門員は語る。試飲調査で安全性も検証済みだ。

「ただ、なかには香りが立たない木もあります。樹種の性質というよりは、その木材の状態、すなわち伐採から経過した時間や乾燥の進み具合の方が要因としては大きい場合もあるようです。また、キョウチクトウやツツジ科アセビ属のような人体にとって毒となる物質を含んでいる樹木は酒の原料には適さないと考えています」

 日本の森林面積は国土の約3分の2を占め、自生する樹木は1200種類以上。その多くがそれぞれ個性的な酒になるとなれば、呑んべえにとっては夢のような話だ。しかし、一般に広く普及するためにはまだ課題があるという。

 今後の展望はどうなっているのか。森林総合研究所と協力し、木の酒の商品化を担当している蒸留ベンチャー、エシカル・スピリッツ株式会社の辰巳和也プロジェクトマネージャーに話を聞いた。

林業の活性化と森林環境の改善も

エシカル・スピリッツ株式会社の辰巳和也プロジェクトマネージャー。(写真は同社提供)
エシカル・スピリッツ株式会社の辰巳和也プロジェクトマネージャー。(写真は同社提供)

「現在、商品の安定供給に向けた設備整備や製造技術のブラッシュアップを進めています。大きな課題が、湿式ミリング処理を行うための機械(ビーズミル)の確保です。森林総合研究所が実験に使っているビーズミルは1回の運転でボトル数本分の酒がつくれますが、これでは『誰もが手に取れる』ような量産は難しい。大量生産に対応できる設備を整え次第、販売を開始していく予定です」

 エシカル・スピリッツ株式会社は、木の酒に「WoodSpirits」というブランド名を冠した。自身が蒸留家であり、「ウイスキープロフェッショナル」の資格をもつ辰巳氏にとっても、これまで試飲したWoodSpiritsの味は確かなものであるという。

「例えばスギの酒。森林香の強さに驚きました。さらにエステル香という、酵母が生み出す果物に似た香りも豊かで、これらのバランスがとても良い。蒸留酒に木の枝などを浸して香り付けした酒は存在しますが、全く別物です。既存のどの酒にも例えられない味わいがあり、率直に『美味しい』と感じました。人類が初めて手にするこの酒を、ぜひ多くの人に味わっていただきたいと考えています」

 酒として本物の実力を持っている——この特長があるからこそ、WoodSpiritsは話題性だけに留まらない具体的な社会変化に結びつくのでは、と辰巳氏は期待する。

「木と飲食文化を紐づけられるのが重要なポイントです。木は材料や燃料として幅広く活用されてきましたが、人と木の関係性に飲食物という側面が加わるのはこれが初めてのこと。飲食の強みは、一時的な体験であるにも関わらず、非常に大きな付加価値が生じる点です。WoodSpiritsが広く親しまれるようになれば木のブランド化が生じ、木自体の価値も高まるのではないかと考えています。そうなれば、日本の森林の状況や林業の衰退を改善していく起点となり得る」

 調査のためにあちこちの山や森林に足を運ぶ辰巳氏は、特に人工の森を訪ねた際に危機感を抱くことがあるという。森に分け入ると「寒い」と感じるからだそうだ。

「森の外は暖かいのに森の中は寒い、こうした森は健全ではないことが多いのです。木が増え過ぎたり、育ち過ぎたり、適切に間伐されていなかったりして日光が森の中に届いていないからで、木々が適切な状態の森ならば本来快適に感じます。日光が十分に届かなければ中低木や草が育たず、森の土壌が不安定になっていく。その結果として野生動物のエサが不足して鹿や猪が人里に出るようになってしまったり、大雨が降ると土砂崩れが起きやすくなったりするのです」

 アマゾンなどの森林伐採が環境破壊として問題視されていることを背景に、木を切り倒すという行為にはネガティブなイメージが付随する。しかし、杉林のような人工森はむしろ定期的に伐採して管理をしなければ荒れ果ててしまうのだ。東京工科大学の山下俊教授(工学部応用化学科)の報告によると、日本国内の森林を健全に保つためには年間5000万トンの木を伐採する必要があるという。だが現状の伐採量は、必要伐採量の6割にあたる年間3000万トンほどで推移している。林業従事者減少などもあり、森林の管理が充分になされているとは言い難い。

「木の価値が高まれば、林業の収益性も自ずと高まります。すると人材や資金、技術が集まるようになる。森林の状態は改善し、ひいては河川の水質の向上など、環境全体に波及する好循環を生み出すことができるはずです」

 もちろん、WoodSpiritsの普及によって木材の消費量が劇的に増加するということは考えづらい。前出の野尻研究専門員は「酒の材料として消費できるのは余剰木材の0.001パーセントくらいではないか」と述べた。しかし、「木を酒として味わう」という未知の体験は、人々の木への意識を確かに変えるだろう。木々の個性や多様性に想いを馳せることは、森林や環境を保全する意義を改めて考える契機になる。味だけに留まらない可能性を秘めた新しい酒が、間もなく私たちの手元へやってくる。

Written by
ジャーナリスト。日本大学藝術学部、ニューヨーク市立大学ジャーナリズム大学院卒業。朝日新聞出版勤務等を経てフリー。貧困や薬物汚染等の社会問題を中心に取材を行う。著書に「SLUM 世界のスラム街探訪」「アジアの人々が見た太平洋戦争」「ヨハネスブルグ・リポート」(共に彩図社刊)等がある。