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中国バイオ大手BGI社に激震 テクノロジー歓迎の反動か 

イメージ写真 © amanaimages - Fotolia.com

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 中国を代表するバイオ企業、BGI(華大基因)に激震が走っている。株価は昨年11月のピーク時の1/3以下となっている(2018年8月21日現在)。飛ぶ鳥を落とす勢いだった新興企業にいったい何が起きたのか?

 BGIは1999年に北京市で設立された。主要な業務内容はゲノム解析だ。創業から間もないころに、国際プロジェクトのヒトゲノム計画に参画し、全DNAの1%分の解読を担当するなど華々しい活躍をみせる。一時、資金難から経営危機に陥ったが、2007年に広東省深セン市から支援を受け、本部を深センに移した。その後、中国政府からも、国を代表するバイオ企業として強いバックアップを受けるようになる。国の支援を背景に、2010年には米イルミナ社の高速シーケンサー(塩基配列解析装置)を大量購入し、世界最大のゲノム解析企業へと成長していく。2011年には神戸市にBGI JAPANを設立し、日本の研究機関や企業向けにゲノム解析サービスを提供してきた。2017年7月には深セン証券取引所ベンチャーボードに上場するなど快進撃を続けてきたが、今年7月、同社の技術力が疑われる“事件”が起きた。

 BGIは企業や研究機関向けのゲノム解析以外に、新型出生前診断(NIPT)の検査を受託している。妊婦の血液から胎児の染色体を確認。ダウン症、エドワーズ症候群、パトウ症候群。NIPTは日本では一部認定機関でのみ実施でき、かつ条件付きで限定的に実施されているいう段階だが、中国では試行期間を経て2016年から全面解禁されている。BGIによると、2018年5月末までに全世界で313万人の検査を実施したという。

1本の告発記事により急落したBGIの株価

 広く普及するきざしを見せていたNIPTに冷や水を浴びせたのが、7月に発表された1本の記事「華大癌変」(BGIの悪性転化)だ。昨年9月、BGIによるNIPTで異常なしと診断された湖南省の女性が出産したところ、子どもに染色体異常が見つかり、BGIを告訴する事態へと発展したことを取り上げ、中国ではNIPTの精度が誇張されてきたと批判している。BGIは検査が99.99%もの高精度を誇ると主張してきた。また同社の検査を採用した中国の病院は「妊婦の血液検査だけで異常を発見でき、羊水検査のような流産のリスクがない手法だ」と誇大に宣伝してきた。

 記事の発表後、BGIの株価は急落した。それを受けて同社は公開書簡や公告を発表。NIPTの検査は高精度とはいえ偽陽性、偽陰性がでることは避けられず、他の検査手段と併用することで確認していること。湖南省のケースではエコー検査の段階で異常が確認されたにもかかわらず、女性が羊水検査を拒否するなど正規の手段を踏んでいなかったこと。正規の手続きを踏んだ場合には検査にミスが出たケースは3万5000件あたり1件ときわめて少なく、その場合には補償金を支払っていることなどを説明している。湖南省の事例では羊水検査を拒否したことで女性に保証金が支払われなかったという。

 一見、客観的に見て合理的な説明に思えるが、NIPTは安全で正確との宣伝と一転してNIPT単体の限界を認める内容に反感が広がっているようだ。BGIバッシングの流れはエスカレートする一方。

「以前は大手のイルミナ社製のシーケンサーを使っていたのに、最近では買収したコンプリート・ゲノミクス社製に切り替えたから精度が落ちたのではないか」など、さまざまな憶測が飛び交っている。

背景にある過剰な広告宣伝と一般市民からの警戒感

 中国最強のバイオ企業であるBGIは、日本メディアでもたびたび取り上げられている。しかしながら、執筆時点で私が探した範囲では今回の騒動について取り上げた日本メディアはない。その理由を考えてみると、第一に事件のわかりづらさがあげられる。

 記事「華大癌変」の告発、そしてBGIの弁明はともにNIPTが100%の精度を誇るものではなく、伝統的検査と併用することで確実性を増すという点で一致している。その意味では両者に違いはない。だったらなぜ今回のような騒ぎになったのか。つまるところ、検査の精度を過剰に誇るような宣伝、流産のリスクのない新型検査に置き換えられると誤解させるような宣伝が中国で横行しているという前提を知らなければ、これだけの騒ぎになっていることが理解できない。中国は新たな技術を積極的に取り入れる国だが、それだけに過剰な宣伝に裏切られたという思いがあるわけだ。

 また医療詐欺が横行する国情だけに、人々の警戒感が強いことも背景にある。中国の医療詐欺、その典型とも言えるのが2016年の魏則西事件だ。(詳しくは拙稿『がんの最新治療法を見つけ治療を受けた大学生が死亡、「詐欺広告だった」と体験談を遺す』(ニューズウィーク日本版、2016年5月15日を参照)

 この事件をかいつまんで説明すると、大学生の魏則西さんが滑膜肉腫にかかった。どの病院もさじを投げるなか、ネット広告で画期的治療法「腫瘤生物免疫療法」を導入したとうたう病院を見つける。大金を支払って治療を受けたが、容態は回復しない。魏さんは「腫瘤生物免疫療法」について改めて調べたところ、米国で有効性が認められずに実用化されなかった技術だと知る。死の直前、魏さんは「みんなは騙されないように」とのメッセージをしたため、ネットに公開した。この書き込みは大きな反響を呼び、ネット広告規制などさまざまな問題に波及した。

 以上のような内容だ。魏さんの問題は大事件として世に知れわたったが、怪しげな医療広告が跋扈している状況に変化はない。ひとたび事件が起きれば、とどまるところを知らない猜疑の目にさらされてしまう。

テクノロジー導入の陰に潜む落とし穴

 そこには中国のテクノロジー受容の落とし穴がある。中国はひたすら素直に新たなテクノロジーを受け入れている国だ。モバイル決済やシェアサイクルといった生活に密着したサービスから、顔認証やゲノム解析による出生前診断まで、さまざまな新技術がすさまじい勢いで普及する。国家権力によるトップダウンの導入というだけではなく、一般の人々にも新たなテクノロジーを歓迎するムードがあることが大きい。なにせ中国の社会生活は次々と導入される新たなテクノロジーで大きく改善しているのだ。人々はテクノロジーの恵みを強く体感している。

 しかし、その技術がどういうものなのか、そしてどういう限界性があるのかなどの理解について、すなわち科学技術の啓蒙という点については他国と比べてさほど変わりがあるわけではない。企業の側も派手な宣伝文句でテクノロジーのすばらしい側面ばかりを強調している。よくわからないが便利、という感覚で享受しているわけだが、なにかきっかけがあれば、素直な受容は一気に徹底的な拒絶へと転じてしまう。BGIを襲った嵐は、中国の超高速なテクノロジー導入の陰に潜む落とし穴を如実に示している。

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ジャーナリスト、千葉大学客員准教授。2008年北京五輪直前の「沸騰中国経済」にあてられ、中国経済にのめりこみ、企業、社会、在日中国人社会を中心に取材、執筆を仕事に。クローズアップ現代」「日曜討論」などテレビ出演多数。主な著書に『幸福な監視国家・中国』(NHK出版、梶谷懐氏との共著)、『プロトタイプシティ 深圳と世界的イノベーション』(KADOKAWA、高須正和氏との共編)で大平正芳記念賞特別賞を受賞。